No122屋形船の発祥地とは?歴史の始まりと発展の風景
2021/05/07 公開
日本全国さまざまな河川を遊覧する屋形船には、驚くほど古い歴史があります。美しい景色を堪能できる背景には、どのような物語があったのか。どこが発祥地なのか。さらに楽しんで利用できるよう、屋形船の歴史や魅力を調べました。
貴族の舟遊びが始まり
屋形船は、平安時代に貴族の舟遊びとして使われていました。船上で楽器を演奏したり、和歌を詠む雅な文化として親しまれ、「万葉集」にもその名前が記されています。その後、戦国時代には皇族や文化人、大名や豪商の楽しみに発展しました。花火見物やお花見を催したり、歌会や茶会を開いて交流したと言われています。平和とほど遠い時代だったからこそ、屋形船で開く催しに心を休ませていたのかもしれません。
屋形船の「屋形」とは、公家や武家の館のことです。つまり朝廷に使える身分や上級官僚、天皇家に近い貴族、任官した武士の住まいを意味し、屋形船はそれに由来した格式高い乗り物だったと推測されます。平安時代に始まったということは、発祥地は平安京が栄えた場所。現在の地名で言うなら、京都府京都市になりますね。京都御所の位置から考えると、鴨川あたりに屋形船を浮かべていたのでしょう。
大名同士で豪華さが競われる
江戸時代に入り、屋形船は大名を中心として利用されました。
内装や外観も華やかになり、一般庶民では手の届かない豪華な仕様へ変化したのです。大名たちは自分の所有する屋形船を派手に装い、船上で優雅に遊ぶ姿を見せることで、広く権力や力を誇示したかったのかもしれません。将軍の御台所や女中も使用し、隅田川でお月見を楽しんだと伝えられています。
しかし、大名たちによる豪華な屋形船に長い歴史はありません。あまりに豪華すぎる仕様を幕府から注意され、ある程度の制限が設けられました。庶民の暮らしとかけ離れた豪華さや水上交通の発達した江戸において、身近に乗ることのできる姿へと変わっていったのです。
みんなが乗れる屋形船にチェンジ
それまで盛んだった屋形船は太平洋戦争が始まり、一時的に衰退しました。当時は屋形船で遊ぶ財力や余裕もなく、経済的に豊かな人でさえ乗船しなかったようです。さらに戦争が終わってからは、高度成長期にともない、水質汚染の問題が浮上しました。水害対策の1つとして護岸工事が行われるようになり、屋形船で遊ぶ文化も人々の記憶から忘れられます。コンクリートの壁で覆われた護岸は趣とは無縁で、お客さんの減少から廃業をせざるを得ない船宿も現れました。
このような流れから一転、景気が落ち着き始めた頃にお客さんも戻り始めます。バブルの時代は接待利用も増え、歓送迎会や結婚式の二次会、打ち上げや商談にも使われるようになりました。現在は多くの船宿があり、身近な乗り物として愛されています。島根県では松江城のお堀巡り、高知県なら四万十川の遊覧船として、全国それぞれの場所で屋形船の姿を見ることができるでしょう。
江戸情緒を感じられる東京では伝統文化が継承され、最新の設備を搭載した味わい深い屋形船やモダンなスタイルの船も登場し、多くの観光客を楽しませてくれます。
屋形船の魅力ってこんなところ
屋形船の魅力は、なんと言っても乗り物としての機動力とエンターテイメント性にあります。地下鉄やバスとは違い、予約制なので混雑に埋もれたりしません。また、東京スカツリーやレインボーブリッジを写真に収めようとすれば、他の交通機関なら駅や停留所で降りて歩かなければならず、効率良く周るには難しい場合もあるでしょう。しかし、屋形船であればその心配はなく、気分転換や息抜きも含めて楽しませてもらえますよ。周遊コースを確認すれば、交通アクセスとしてどれだけメリットがあるか実感できるでしょう。
ものまね芸人やミュージシャン、演歌歌手やマジシャンを招待した貸切プラン、女子会や婚活メインのプランなど幅広い内容を企画できます。リーズナブルな乗り合い、もしくは贅沢な貸切から選べるので、グループや団体の人数調整も問題ありません。窓の向うに広がる景色を眺めながら、おいしい食事に会話も弾みます。天気が良ければ、展望デッキからこれまで見たことのない絶景を目にできるでしょう。
屋形船は長い歴史の中で、政治や社会情勢の影響を受けてきました。今でこそ誰もが利用できる乗り物ですが、それまでは特権階級のみに許された娯楽の位置づけだったです。それだけ利用価値が高く、ある意味で贅沢な船だったのでしょう。時代の流れと供に変化してきた屋形船は、四季折々の景色と変わらない風情を感じさせてくれます。東京湾や隅田川に浮かぶお座敷として、夜景を楽しむ乗り物として、気の合う仲間や恋人とのデートにご利用ください。